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14話

13話
年間世界中から約850万人もの人が訪れるルーヴル美術館の歴史は古く、始まりは800年前の中世の時代でした。

12世紀末、フランス王フィリップ2世が防衛が手薄になっていたパリのセーヌ川岸に要塞を築きました。 もともと"ルーヴル"という言葉はサクソン語で「要塞」を意味するという説もあり、のちに美術館となる建物は、要塞として生まれました。 (現在のルーヴルの地下には要塞のなごりである石垣が残されています。)

その後14世紀後半にシャルル4世は軍事上で、必要のなくなった要塞を規模はそのままに、城として美しく造り替えました。
16世紀にはアンリ4世が宮殿を4倍に拡張する「ルーヴル大計画」を構想するも、工事中にアンリ4世は暗殺されます。 「ルーヴル大計画」は息子のルイ13世が遺志を継ぎ、実現させました。

その後、太陽王ルイ14世の時代になると、彼はパリのルーヴルから狩場の小管があったヴェルサイユの地に新たに王宮を建設し 、遷都してしまいました。(これが、かの「文句があるならヴェルサイユにいらっしゃい」のヴェルサイユ宮殿)
というのも、ルイ14世は10歳のころに内乱が勃発し、ぐっすり眠っていた寝室に反乱軍が侵入し非常に怖い思いをしたそうです。 これがトラウマになったのと、ルーヴル宮が防衛面で問題があると判断し、1682年にヴェルサイユ宮殿に完全に移り住みました。

残されたルーヴル宮にはルイ14世が作らせた美術品があふれていました。そこで、一部の画家達がアトリエを構えることを許され、 フランスの美術アカデミーがそこに設置されました。
革命後、各国から美術品を持ち帰った(略奪した)ナポレオンを讃えルーヴルは「ナポレオン美術館」と命名され、市民にも開放されていました。
それから更に時を経て、第2帝政時代ナポレオンの甥、ナポレオン3世が帝政を開始したころ、パリの改造計画を実行し、ルーヴルも計画の一環として 整備され、1857年8月14日に新たな美術館として全ての市民に開放されました。

長くなってきたんで中略ww

現在のルーヴル美術館

ルーヴルの「顔」としてなじみの「ピラミッド」は1981年に増えすぎたルーヴルのコレクションの整備を目的とした「グラン・ルーヴル」計画をスタートさせた、 ミッテラン大統領(当時)の趣味。ミッテラン大統領はエジプト文化超大好き。
ピラミッドの建設に関しては、賛否両論あったようですが、今はルーヴル美術館のシンボルの一つとなっています。
ピラミッドの裏っかわ


21世紀になった今日、増え続ける美術品や、シーズン中はエントランスが飽和状態になるぐらい、増加する来場者に対応するため 800年の歴史があるこの美術館は、現在も日々進化を続けています。


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1820年4月10日 鬱病の治療の後(全快にはいたらなかったようですが)、症状が安定したころにジェリコーは 友人の画家、ニコラ=トゥッサン・シャルレとそして「メデューズ号の筏」と共にカレーの港からイギリスへと旅立ちます。
この旅は、探検家で元宝石商のウィリアム・ブロックが自身の経営するイギリス、ロンドンの繁華街にある「エジプシャンホール」で 作品を展示しないかと持ちかけたことがきっかけでした。
1820年6月10日展覧会の開始ごろ、ロンドンのさまざまな新聞の紙面で"ジェリコー氏の偉大な絵画の展覧会"を報じ、 フランスと政治的なかかわりの無い、イギリスの芸術界は好意的に新しい絵画を受け入れました。
「メデューズ号の筏」一点限りのこの展覧会は、来訪者には事件を要約した記事と油彩の解説と ジェリコーがシャルレの手助けを得て仕上げた「メデューズ号の筏」のリトグラフが掲載された15ページの 小冊子が配布されたそうです。
1820年12月30日に終了した頃にはのべ40000〜50000人以上もの人が展覧会に訪れたと記されています。
ブロックの熱心な宣伝もあり、興行的に大成功したこの展覧会でジェリコーは17000ないし20000フラン(※1)もの大金を手にしました。 これはルーヴルが買取りにしめした額(その上踏み倒した)を大幅に上回っていたそうです。
翌年の1821年にはダブリンでも展示会を開きましたが、ロンドンでの成功と比べて芳しくない結果に終わりました。

滞在中にジェリコーはフランスにほとんど知られていないイギリスの画家たちの作品トマス・ローレンス、 ジョージ・スタッブス、ワード、エドウィン・ランドシーア、カンスタブルなどを目にして大いに感化されたそうです。

(※1)諸説ありですが1フランがだいたい1000円(当時)らしいので…、千七百万〜二千万円ぐらい稼いだ計算に…! ちなみに、バルザックか何かで読んだんですが、当時の労働階級の日給はだいたい4〜5フランらしいです。(すごいうろおぼえ。)
余談ですが、19世紀パリが舞台の奇譚「オペラ座の怪人」で地下に住まう怪人、ファントムが支配人に2万フランを毎月支払うようにと脅すシーンがあります
ファントムの月給は2千万だったのかー。地下で一体何に使っていたんだろう。…仕掛け?
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