モンパルナスの画家

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恋愛漫画企画

「恋愛」をテーマに、たくさんの先生が執筆なさった大変素敵な企画です。 すてきな漫画がたくさんあります!
私は、『モンパルナスの画家』という漫画で参加しました。

ジェリコーたちの時代から100年先、20世紀前半。パリにやってきたイタリアの画家と恋人の話です。

モンパルナス

パリのセーヌ川左岸の地区。安いアトリエが多く建ち、外国からやってきた芸術家たちが多く住みついた、 カフェやキャバレーなど、娯楽施設と芸術が混ざり合った歓楽街。 「芸術は爆発だ」の名言と「太陽の塔」で有名な芸術家、岡本太郎も一時期ここで過ごしていた。

エコール・ド・パリ

20世紀前半にパリのモンパルナスやモンマントルに住んでいた芸術家たちのこと。
ロマン派や印象派のような芸術運動ではなく 、所属する芸術家たちは国籍も作風もばらばらで統一されていない。

エコール・ド・パリの画家たち

アメディオ・モディリアーニ

「モンパルナスの画家」主人公。イタリア出身のユダヤ人画家。
教養深い両親に育てられ、幼い頃から文学や芸術に慣れ親しんでいた。 持ち前の美貌と育ちのよさからの洗礼された物腰、そして文学的な教養から「モンパルナスのプリンス」と称される。 また、愛称の"モディ"が仏語の"呪われた"(maudit)と同じ発音であるため「呪われた画家」とも言われている。 束縛を嫌う、自由人。ボヘミアンの象徴でもある(悪く言えば破滅型)。酔っ払うと裸になるタイプ。 日本では盟友藤田によって死後すぐに紹介され、現在も人気の高い画家の一人。

モディリアーニ


モディリアーニの自画像。 人物画が多い画家だが、自画像はこれのみ。謎めいた印象の一枚。
この絵を制作した19年、モディリアーニは咳き込み血を吐きながら、命を削って制作を続けていた


もっと紹介したいけれど、全部になりそうなのでこの辺で。モディリアーニはネットでもいっぱいありますので 興味を持たれた方はぜひググってくださいませ。
日本でも東京、神奈川、名古屋、大阪、広島、岡山などの美術館で所蔵されています。是非本物を見てみてくださいね。


シャイム・スーチン(又はスーティン)

ベラルーシ出身のユダヤ人画家。
ベラルーシの極貧の家系に生まれ、絵に興味を持つが宗教的な理由で絵を描くことを禁じられていたため、 早くから故郷を去る。 リトアニアで絵を学びそこから徒歩でパリにやってきた。 モディリアーニは初期からスーチンの才能を見抜き、粗野なスーチンを実の弟のように可愛がっていた。 後にアメリカで絵画が高く評価され巨匠となるが、晩年はナチスから逃れるためフランスの田舎へ逃亡し、 ほとんど制作をせず『パリの解放』前年に死去。
大胆な筆遣いと何度も塗り重ねた色使いが特徴。コックなど無名の使用人という題材を好んで描いた。

スーチン



モーリス・ユトリロ

エコール・ド・パリでは珍しいフランス出身の画家。
10代の頃からアルコール依存症で、それを克服するため絵画を始める。 しかし、依存症は治らず施設に入院→脱走を繰り返していた。 母親や一部の人間以外を受け入れなかったユトリロだが、モディリアーニとは意気投合し友人となる。 場末の安レストランで二人は飲み歩き、無銭飲食を繰り返していた。 やがてパリの街角を描いた風景画で評価され、人気画家となる。しかし晩年は絵葉書から絵画を制作しその質は低下する。

ユトリロ



藤田嗣治

東京出身の日本人画家。
東京美術学校を卒業後、単身渡仏。モディリアーニ、スーチンと知り合い、彼らを親友と呼ぶ仲になる。 乳白色で肌を描いた裸婦画が話題になり、一躍有名画家となる。 その後第二次世界大戦が勃発し、ドイツに占領される直前に日本に帰国。帰国後は日本の画壇が推奨していた「戦争画」を制作し、サイパンの戦いを描いた絵画「サイパン島同胞臣節を全うす」 はピカソの「ゲルニカ」に匹敵する20世紀絵画の金字塔とも言われている。 しかし、終戦後に「戦争画」を推奨していた日本の画壇はGHQの戦犯追求を恐れ、 藤田を「戦争画」制作の中心人物として責任を押し付けた。
結局、GHQの戦犯リストに画家の名はなかったが、藤田は日本の画壇に裏切りを感じ、日本を去る。渡仏し、二度と日本へ戻らなかった。
フランスに帰化し、カトリックに改宗。洗礼名は尊敬するレオナルド・ダ・ヴィンチからとった、レオナルド(仏語読レオナール)。 今年、藤田の日記が東京芸術大学に寄贈され今後の研究が期待されている。

藤田



パブロ・ピカソ

説明不要の天才画家。 漫画には名前すら登場させられず。スペイン出身の画家。
本名はパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・ クリスピン・クリスピアノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ブラスコ・ピカソ
画家、ジョルジュ・ブラックと共に「キュビズム」を創り上げる。
モディリアーニは彼の絵画に大きな影響を受けるが、尊敬とライバル心とがからみあった、複雑な関係だった。

ピカソ




彼ら以外にも、シャガールやマリー・ローランサンなどいい画家がいっぱい!


エコール・ド・パリ以外の人物

ジャンヌ・エビュテルヌ

「モンパルナスの画家」ヒロイン。モディリアーニの内縁の妻。フランス、パリ出身。
兄の影響で絵を初め、アカデミー・コロラッシに通う画学生時代にモディリアーニと知り合い、恋人となる。 モディリアーニの絵画モデルを多く務めた。雪のように白い肌と青の瞳と栗色の髪が特徴。現実離れした不思議ちゃん。
ウィキの項目にのっている彼女の鮮明な写真からとんでもなく美人であることがわかる。 ずるいぞモディ。
モディリアーニと交際後も絵は続けており、その画は彼に多少の影響を与えたようだ。 (モディリアーニは彼女を画家として評価はしていない)
モディリアーニと出会う前から藤田嗣治とは友人で、藤田は彼女が亡くなったとき一番に駆けつけたという。

ジャンヌ



レオポルド・ズボロフスキー

モディリアーニの画商。作中には名前のみ
貴族の末裔であるが貧乏画商。モディリアーニの絵に惚れ込み、自身のタバコ代を節約し、宛名書きのバイトをしながらもモディリアーニに画材を提供し、 公私共にモディリアーニを支えていた。


ズボロフスキー像。モディリアーニは敬愛をこめて貴族的に優美に描いている



漫画にも出ていないしエコール・ド・パリではないけれど…

オーギュスト・ルノワール

印象派の画家
ドラクロワに傾倒し、初期の作風に影響がみられる。(その他、ルーベンスやアングルやクールベなど)
モンマントルのダンスホールを描いた、印象派の傑作「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を制作した。

ムーラン・ド・ラ・ギャレット

尻フェチでありおっぱいフェチでもある。
晩年リューマチを患い、知らない人物に会うのを嫌ったがモディリアーニの面会には応じたという。
その時ルノワールは尻の良さについて熱く彼に語ったが、モディリアーニは残念ながら尻フェチではなかった。 しかし、ルノワールはモディリアーニを認め、影から支援していた。

ちなみにルノアールは喫茶店である。

日本では大変な人気があり、おとぴろを絵画萌え、幼女萌えにした巨匠でもある。

帽子の少女
帽子の少女たん

可愛いイレーヌ
イレーヌたん(8歳)



よ ・ う ・ じょ ! よ ・ う ・ じょ !

おや?誰かきたようだ…


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