6話
ジェリコーがアレクサンドリーヌ=モデスト・ド・サン=マルタンの愛人になったのは、19歳の頃からだと言われています。(アレクサンドリーヌは当時25歳。
ジェリコーの叔父、ジャン=バティスト・カリュエルは当時53歳。28歳年下の若奥様…。)
その後ジェリコーのイタリア私費留学でいったん関係は終わるものの、帰国後二人はよりを戻してしまいました。
その結果アレクサンドリーヌはジェリコーの子を身篭ってしまい、一族の激しい非難にあった彼女はジェリコーのもとを去りました。
1818年8月アレクサンドリーヌは男児を出産。「特定されない父と母から産まれた」と出生届けに記された
ジェリコーの息子は「ジョルジュ=イリポット」と名づけられ、1882年に死去するまで終生ひっそりと暮らしました。彼に子孫はいなかったそうです。
この事実は長い間伏せられ、1976年に明らかにされました。
「マゼッパ」
「マゼッパ」はイギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロンによって書かれた叙情詩。
ジェリコーは「マゼッパ」の絵を初めて描いた画家だと言われています。
「マゼッパ」のストーリーは
『ポーランドの国王に仕えていた主人公マゼッパは、貴族の夫人と不倫し、
その罪で野生の馬に全裸で仰向けに縛られ荒野に追放される』
というもの。
また、ドラクロワはバイロンのファンで、バイロンに関する記述や、詩から描いた絵画(※1)などがたくさん残されています。
(※1)ドラクロワ「サルダナパールの死」
バイロンの戯曲『サルダナパール』の一場面。
悪政のため反乱を起こされた古代アリッシアの王サルダナパール。
反乱軍によって宮殿が包囲されると「死なばもろとも」と、妾や愛馬を寝室に集めて虐殺させる。
王はその光景を何事もなく、冷ややかに見つめているというシーン。